現展示のご案内

古九谷展 
―伊万里色絵の誕生―


会期:2010年7月4日(日)〜9月26日(日)

《古九谷とは》
 肥前の有田(現・佐賀県有田町周辺)で17世紀中期に焼かれた伊万里焼であるにもかかわらず、長い間、加賀の九谷村(現・石川県加賀市)で焼かれたと思われていた磁器が「古九谷」です。幕末に加賀で焼かれるようになった「再興九谷」に対して古い九谷焼という意味で名付けられ、加賀百万石のやきものと認識されてきた古九谷が、実は伊万里焼なのではないか、という学説が発表されたのは昭和13年(1938)のことでした。以降、長年にわたって古九谷は九谷産か有田産かという激しい「古九谷産地論争」が繰り広げられてきましたが、現在では発掘調査や文献史料の研究などによって、有田で作られたものであるという説が有力になり、その内の色絵製品の一部を便宜的に「伊万里焼の古九谷様式」と表現しています。

【17世紀中期の伊万里焼】
 伊万里焼は1610年代に佐賀県有田地域で始まった、日本初の磁器です。草創期には酸化コバルトを呈色剤とする顔料の呉須(ごす)で下絵付けをして青い文様をあらわす染付や、青磁や銹釉(さびゆう)などの色釉による文様表現しかなかった伊万里焼に、赤・黄・緑・紫などの上絵具でカラフルに絵付けをする色絵の技術が誕生したのは1640年代後半でした。それから20年ほどの間に伊万里色絵は、淡い色調で幾何学文様を多用した祥瑞手(しょんずいで)・中国絵画のような人物や花鳥の文様が描かれた五彩手(ごさいで)・緑や青、黄色などの濃厚な絵具を使って大胆なデザインが描かれた青手(あおで)など、多様な展開と高度な技をみせるようになります。これらが現在、「古九谷様式」と呼ばれているものです。
  また、1660年代前後にはヨーロッパ向け輸出品として、素地の精製などの技術が飛躍的に発展した初期輸出タイプが作られました。




色絵 牡丹文 松皮菱形皿
伊万里(古九谷様式)
江戸時代(17世紀中期)
高4.7p 口径18.5×29.2p

祥瑞手と呼ばれるタイプ。幾何学文様を多用する。



色絵 牡丹双蝶文 皿
伊万里(古九谷様式)
江戸時代(17世紀中期)
高4.7p 口径35.2p

五彩手。濃い色調で中国絵画のような文様を描く。




色絵 柏樹鳥文 皿  
伊万里(古九谷様式)
江戸時代(17世紀中期)
高7.5p 口径32.8p

青手。緑や黄色の濃厚な上絵具で器面全体を塗りつぶし、赤絵具を使わない。


色絵 孔雀文 皿  
伊万里
江戸時代(17世紀中期)
高2.8p 口径22.5p

初期輸出タイプ。素地が白く、赤を多用するのが特徴。現在は古九谷様式には入っていないが、かつて古九谷と呼ばれていたもののひとつ。

 17世紀半ばの伊万里焼には、色絵のみならず染付や茶色い銹釉を掛けた薄手のうつわ、明るい青緑色を呈した青磁、呉須を釉薬に溶かして瑠璃色に発色させた瑠璃釉(るりゆう)の製品にも優品が見られます。これらも、それぞれ藍九谷手(あいくたにで)・吸坂手(すいさかで)・青磁手(せいじで)・瑠璃手(るりで)などと呼ばれ、かつては「古九谷」とされていました。研究によって伊万里焼であることが確認され、古九谷から外されて伊万里焼になったのです。

 このように、1つの名称ではまとめきれない程さまざまな様式のやきものが「古九谷」という名前のもとにまとめられ、しかも認識されていた生産地が違っていたということから起きた混乱は長期化し、今なお研究者、陶磁愛好家、陶芸家や郷土史家らの間でくすぶり続けています。
  古九谷産地論争が過熱した一因は、古九谷の持つ大きな魅力です。当時の上流階級の求めに応じた丁寧な作行き、美しい絵付け、大胆な文様構成。この個性的なうつわに魅せられた多くの人々の想いが、半世紀以上にも及ぶ大論争を招いたといえます。今展示では、現在「古九谷様式」と呼ばれている祥瑞手・五彩手・青手に加えて、かつて「古九谷」と一括りにされていた17世紀中期の伊万里焼を一堂に展観して、複雑な研究史を整理しつつ、その技と美をご紹介します。(約100点出展予定)




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